「就職氷河期世代」は企業責任を問う
あらゆる世代に公平な就労の機会を大企業の業績回復と団塊世代の大量退職に伴い、近年、労働市場は「求職者側の売り手市場」と言われています。
しかしそれは、新たに学校を卒業する「新卒」か、卒業後数年以内の「第二新卒」に限られ、就職氷河期に社会に送り出された氷河期世代については、依然として厳しい雇用情勢にあります。
その背景には、年長者ほど賃金が割高になる昇給制度(年齢給)の存在や、高度成長期に確立された「新卒一括採用」という雇用慣行の影響があると言われていますが、それに加えて多くの企業では、アルバイトの経験を職歴として評価せず、転職の回数や無職期間の長さに対しても偏見のあることから、そのことが就職活動の足枷になっているという意見もあります。
こうした現状に対して「それは本人が選択したことの結果であり、自己責任ではないか?」という指摘があります。確かに「どの企業に就職し、いつ辞めるのか?」ということや、「どのような雇用形態で働くのか?」ということについては、労働者側の意志によって決めることが可能であり、誰もが同等の条件で、その選択をおこなえるという前提であれば、そうした「自己責任」という意見も間違いではないでしょう。
しかし1つ1つの求人が異常な高倍率であった就職氷河期には、内定した企業が必ずしも本人の意に添うものであったとは言い切れず、退職や雇用形態についても、企業側の都合によるところが少なくなかったという状況を振り返れば、それを一概に「自己責任」の論理に終結させることは適切とは言えません。
また、そもそも「就職氷河期」という状況が、人件費の削減を迫られた企業側の内情によって引き起こされたものであり、その要因となった「バブル崩壊」についても、企業側の近視眼的な経営判断の影響によるものだったことを考慮すると、その「しわ寄せ」を受けた氷河期世代の雇用に対して、企業側が責任を持たなければならないのは当然と言えます。
雇用の流動化の中で進む
労働力の市場原理化反対!しかし現状において、企業側は新卒の採用を優先し、氷河期世代については飽くまでも「即戦力を求める」という姿勢を崩していません。そのため希少な正規雇用の転職希望者に求人が集中する一方で、長らく非正規雇用として働いてきた労働者との格差は、更に拡大をするという悪循環に陥っています。
こうした状況の下では、政府が一定の指導力を発揮し、格差是正に取り組まなければならないところですが、現状では企業側の採用行動に対する規制は緩やかであり、多くの氷河期世代が労働市場の外側に追いやられようとしています。
また、そのような状況を打開するために実施された「再チャレンジ支援策」は、前首相の退任と共に衰廃し、行政が独自におこなう雇用対策も、企業側の採用の自由を過剰に保護する一方で、求職者側の勤労の権利については軽んじられ、これまで人材の育成を放棄し、非正規雇用を拡大させた企業側の責任についても、いっさい追求をしない方針が貫かれています。
私たちは、こうした企業側の傲慢に与する労働政策に対して強く批判をおこなうと共に、労働力の市場原理化に反対し、あらゆる世代が公平な就労の機会を獲得できる社会の実現を目指して、活動を続けていきます。
今後、雇用の流動化が更に加速し、産業構造が急速に変化する中で、これらの問題にどのようにして立ち向かい、どのような解決の道筋をつけていくのか、私たちと共に考えましょう。
2007年12月29日
私たちの主張が人民新聞に掲載されました
氷河期世代ユニオンの主張を紹介する記事が、『「就職氷河期世代」は企業責任を問う・あらゆる世代に公平な就労の機会を』という題名で、老舗メディアの「人民新聞(1298号)」に掲載されました。以下、その内容をご紹介いたします。
たしかに。面接でいくらアピールしても相手は理解しません。そのような企業側の論理でいけば、私の場合は今まで「何もしていない」状態だと解釈されます。
例えば、1年の非正規よりも1ヶ月の正規雇用の経験のほうが評価されるということなんでしょうね。その時点で間違っている気はしますが。あとは、劣悪な待遇しか提供できない企業(雇用主)は淘汰されることも重要だと思います。
氷河期世代が主張しないとこのまま黙殺されること必至。
私も氷河期世代は主張するべきだと思うのですが、なかなか、呼びかけに応じて下さる方がいません。なぜでしょうか…?
就労機会の獲得や待遇の改善などのように、上になるように主張するのが普通ですが、まれに逆の主張(下流志向)をする人もいるのではないでしょうか。
経営者層(資本家層)と貧困層の主張がなぜかリンクしてしまうことがあります。たとえば、貧困層が「中流の所得水準は高いから我々並に下げろ」と主張した場合、さらなる人件費削減を望んでいる経営者層には渡りに船ということになってしまいます。